父 -2018年 夏③-

  実は、夏休みに入って長男弟のお嫁ちゃんは手術で入院することになっていました。「お義父さんが大変な時にすみません。」と恐縮していた彼女。彼女のせいではないのに…。そういう優しい彼女を私も何とか手伝いたいと思いました。私が帰省していれば、母と協力して甥っ子達の面倒もみれるでしょうから多少なりともヘルプになるかな?と。
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  しかし、助けているつもりが、実は助けられていた…そんな気がするのです。夏休みでもあり、甥っ子達が泊りがけで実家にやって来ました。父が入院して、母と暗い雰囲気になりがちなこの時に、2人の甥っ子の存在は癒しでした。そして、お嫁ちゃんが入院中は使わないからと彼女の車を貸してくれたのです。母の車があるので大丈夫だと最初は遠慮したのですが、車は2台あった方が何かと便利だしと長男弟が言うので借りたのですが、これが本当に助かりました。
  そして、入院中の父は毎日のように孫達に会えたのです。特に一番小さいまるお君弟が自分の存在を覚えていてくれるくらいまでは生きていたいと言っていた父は、毎日の孫達の訪問がとても嬉しそうでした。
  




  さて父の状態ですが、腹水は相変わらず結構な量が出ていましたが、主治医が「チューブを抜いて一旦家に帰るか?」と提案しに来られました。おそらく少しでも家で過ごしたいだろうと思ってくださっての提案だったと思います。また腹水が溜まってくるのは時間の問題でしたが、残された時間をどう過ごしたいかという事で選択肢を下さったようでした。でも父は、チューブはそのままで、もうこのまま入院していたいと伝えました。家に帰ってもしんどいのは同じだし、自分の体調にも自信がなかったのでしょう。でもそれより何より母の負担を考えてのことだったのではないかと私は感じました。
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  このまま入院していたいと伝えたにも関わらず、その日の担当ナースが病室に「今後のこと、介護保険の認定等考えられてはどうですか?」と言いに来たので私は驚きました。まるで出て行けと言われたようにも感じました。急ぎ、家にいた母に連絡して、まずは例の癌相談センターの担当者さんに相談に行くことにしました。すぐに対応してくださり、現在の父の状況、今後家族がどうしたいと考えているか、父の希望等話を聞いてくださいました。
  介護保険の認定申請をしても認定されるまでに1ヶ月以上かかるのですが、一先ずナースからそういう話があったのなら、一応申請しておきますか?ということで、私と母は午後にでも市役所に行ってみようと病院を後にしましたが、その帰り道に病棟から電話がかかって来ました。私たちが帰った後、癌相談センターの方がすぐに病棟へ連絡をしてくださり、私たちの要望が"在宅"ではないことを知って、大慌てで「介護認定の相談に行くのをちょっと待ってください!」という電話をかけてこられたのでした。じゃあ、あのナースが私たちに言いにこられたことは一体???
  これは私の想像ですが、おそらく状態が安定しているので一度家に帰ることをすすめてみましょうという看護方針になったのでしょう。その日主治医が来て、父はこのまま入院でという意思を示したものの、きっとそれがナースに伝わらず、"在宅へ向けての指導"という業務をそのまま行ったため、私たち患者家族の混乱を招いた…それが癌相談センターに相談に行き、そこから連絡があったことで行き違いが判明したということではないかと思うのです。

  翌日、母が全てを私に一任すると言うので私が病棟の人とミーティングをするということになりました。ようやく、父の今後のことについて話し合う場が設けられたのです。私にとっても容易なことではありませんが、辛い現実を前にいろいろなことを決めたりするのが母1人でなかったのは良かったと思います。

  ミーティングでは、病棟の主任さんと癌相談センターの方が同席してくださいました。父が「最後は病院で良い」と言っていたことを伝えると、おもむろに病院併設の"療養型病棟"というところが、主治医の許可があり、余命が半年以内などの患者さんで在宅ではなく病院での最期を希望される場合、受け入れることができると言われたのでした。これは私が事前に調べても出てこず、癌相談センターの方からもこの日まで聞くことが出来なかったことでした。知っていれば母の先行きへの心配も少しは軽減されていたでしょうに…公表されていないのは病院側にはそれなりの理由があるようでしたが。
  そして「療養型病棟で看取りの方向で」ということで申請してくださることになりました。これは父の希望に沿った方針でもありました。そして、他のご家族にもこの「看取り」の方向で延命処置などはしないことに同意してもらってくださいと言われ、すぐに弟達にも連絡し確認を取りました。それから1週間後、療養型病棟への転棟が決まりました。
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  療養型病棟へのお引越しは、孫達も手伝ってくれ、ちょうどお見舞いに来てくださった父の友人達も一緒の賑やかな道中になりました。

  個室を希望していたのですが、個室はナースステーションから遠く、父が立ち上がった時にわかる床に敷いたセンサーの電波が飛びにくいということで4人の大部屋になりました。一般病棟の大部屋より広く、収納もたくさん、仕切りもカーテンだけじゃなく障子風の引き戸になっていて、少し病院の雰囲気が緩和されている感じでした。
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  家族写真等本人の好きなものを飾ったりしてできるだけおうちに近い環境にしてあげてくださいと言われました。母はすぐに家族の集合写真と父のクラスメートとの写真を持って来て飾っていました。
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  ナースはベテラン揃い、介護士さんもおられる病棟で、先ほどまでいた外科病棟とは違って柔らかい雰囲気が漂っていました。外科病棟は手術治療が目的の患者さん中心の急性期病棟ですから、スタッフも忙しく、父のような終末期の患者さんを十分にケアするだけの時間も人員もないのはわかっていましたが、主治医もほとんど来ない、ナースも処置を終えたらすぐに出て行ってしまうなど人とお喋りするのが好きな父はちょっと不満げだったので、最期をちゃんとケアされる雰囲気のところで迎えられそうで私もホッとしました。

  食事時間もベッドごと食堂へ移動して食事をする、経管栄養であっても病室ではなく食堂でというのが基本の生活援助が中心の病棟。父も誘ってもらいましたが、食欲もほとんどなく1度か2度行っただけでした。
  翌日にはストレッチャーで体を横にしたままシャワーをしてもらいました。入院して以来、腹水のためのチューブが入っていることもあって、私が毎日の様に体を拭いていましたが、ここではチューブの挿入部を覆って寝た状態でシャワーをして下さいました。お風呂が大好きな父でしたから、シャワーを浴びることが出来て喜んでいました。
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  しかし、病棟を変わってから父の様子が変わって来ました。テレビも見たくない、好きだったラジオも聴くことなく、寝ている時間も増えて来ました。起きている時には被害妄想的な言動もみられることがあり、据わった目付きになって人が変わった様に感じられることもありました。これは家族にとってはかなりショックな事です。最期はドラマの様に穏やかにお礼などを行ってお別れできるものかと思っていたのに…と長男弟も言っていました。甥っ子達もこれまで違うおじいちゃんにショックを受けていました。

  これは"せん妄(もう)"という状態で、原因は様々ですが、癌の末期、肝臓等の臓器不全、薬の副作用や血中の電解質バランスの崩れなどがあります。父の場合は様々の要因が絡み合って出ていたのだと思われます。
  「お父さんはあんなに健康で丈夫だったのに、(病院に)弱らされた。あれ(抗癌剤治療)は人体実験や。」と言ったり、盗聴されていると言って小声で話したり、帰り際の私に「刺されるかもしれないから気をつけて帰れ」と注意したり尋常ではない発言がみられました。こう言う時、父の言うことは否定せず、同じ様に小声で話すようにしていると少し気持ちが落ち着く様でしたので、できる限り否定肯定はせず傾聴に努めました。
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  そんなこともあるかと思えば、お見舞いの方が来るとベッドを起こして座れる様にしてくれと頼み、きちんと対応しようとし、「お客さんにお茶を出して。何かコーヒーでも買って来て。」等私に頼むいつもの父に戻って友人達と話をしていました。父は混乱と正常の間を行ったり来たりしている様でした。

  私は毎日朝に父のところへ行き、体を拭いたり、着替えをさせたりして、その後お昼までずっと付き添っていました。うとうとする父が目覚めた時に誰かがいると安心する様子だったので、することがなくても父のベッドサイドに座っていました。そしてお昼過ぎには洗濯物を持って一旦実家へ戻り、また午後に母と一緒に病院に行くのがパターンでした。

  時々、病棟の師長さんがお部屋に回ってこられて、付き添う私に「毎日付き添いありがとうございます。」と声をかけて下さったりしました。(そういえば、最初に入った外科病棟では10日間の間に一度も師長さんにはお目にかかることなく、結局誰が師長さんなのかわからないまま転棟になったのでした。)

  しかし、こうやって長い時間付き添えるのも、1人で日本に行くことを許してくれたジョフや息子のお陰。サポートしてくれる友達のお陰。長期に家を空け、2人に不自由をかけてしまうことになったけれども、普段の日常の諸々に煩わされることなく、父の看病が出来たのは、家が遠過ぎてすぐには帰れなかったから。これがもし自分のうちが近ければ、家事や子供の世話などもしつつ、病院に通うことになるので大変だったことでしょう。落ち着いて父の変化を受け入れていけたのも、父のことに集中できる環境だったからだと思います。


  


by sivasiva21 | 2019-06-03 02:10 | Trackback | Comments(0)
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