父 -2016年 夏-

  父が他界して8ヶ月が経ちました。父とのことを振り返ってみたいと思いながらも、少しするとタイプする手が止まってしまったり、あちこちに気持ちが飛んで文章がまとまらなかったり。でも自分のためにも少しずつでも書いてみたいという気持ちがあるので、まぁぼちぼちと…。

***********


  2016年6月23日、私は1人日本行きの飛行機に乗り込みました。春先の計画通りであれば、ハワイ行きの飛行機のはずでした。ホノルルで両親達と合流してマウイ島へ行く計画で飛行機もホテルも予約していましたが、全てキャンセルして日本行きになったのは、父が悪性リンパ腫と診断を受けたからでした。
e0067416_04082051.jpg
  自覚症状はほとんどなく、体重が半年ほどの間に7kgも落ちたのは、趣味の城巡りでよく歩くようになったからか?と気にもしていなかったようですが、昼食後にすぐに横になり眠ってしまう様子がこれまでと違う、何かおかしいと気づいた母が「脳CTでも撮ってもらったら?」と受診を勧めたのがきっかけでした。




  脳CTは異常なく、しかし、血液検査の結果が相当悪く、医師から直接電話がかかってくるほどだったのデス。すぐに総合病院へ紹介され、血液内科を受診し"悪性リンパ腫"の診断を受けたのでした。その後検体を九州の検査施設に送り、悪性リンパ腫のタイプを精査し、治療法を見極めるのにしばらく時間がかかりました。その間に私は日本へ帰る準備に取り掛かりました。

  当時息子は中学2年生、いろいろ考えた結果、日本へは後からジョフと2人で来ることを選択しました。日本語補習校の夏期集中学習もあったし、体操の練習や水泳のレッスンなどこちらですることもあったので。ジョフもいましたが、私が留守の間の息子のことは、M子ちゃんをはじめ、たくさんの人にサポートしてもらうことになりました。具体的な送迎だけでなく、息子が1人で困った時に電話させてもらう人をお願いして万一の時にも備えました。周りの皆さんの助けのお陰で私も安心して日本へ発つことができましたし、息子が日中1人で家にいても大丈夫な年齢になっていたのも良かったことでした。

  息子が生まれて以来、1人で飛行機に乗るのは初めて。楽かと思いきや、荷物を持ってくれたり、トイレで席を離れる時など連れがいないと意外にも不便だと気付きました…。ここ何年も回転台からスーツケースを下すのは息子がやってくれていましたし。

  ジョフと息子が合流するまでの2週間、私は両親の娘として2人をサポートすることに集中出来たのはとてもありがたいことでした。この時は、"半年間入院して抗癌剤治療6クールを頑張れば、また普通に生活できる"ということで、両親も私も希望を持っていました。
  父が一番心配していたのは、自分のことではなく、半年間とはいえ、一人暮らしの経験のない母が実家で1人になることでした。私の日本到着の前日に入院となった父に会いに行った時「お母さんを頼む」と1番に言われました。

  私はその父の期待に添えるように、これから毎日父のために病院へ通うことになる母がスムーズに動けるように諸々のことを整え、また治療の合間には外泊してくる父が清潔で快適に過ごせるように実家の大掃除なども始めました。そして、病院の父の元へは毎日朝夕の2回通いました。朝は私1人で、午後は母も一緒に。
e0067416_04092565.jpg
  洗濯物や荷物を持って病院の駐車場から病室まで行くのは、腰が悪く脚長差がある母には大変です。荷物も入って座ることもできる歩行補助車(シルバーカー)をネットでオーダー。折りたたみもでき、軽量なので車のトランクからの出し入れも母1人で可能。フックを取り付けてカバンなどをかけられるようにしたのでさらに荷物を運べます。母も喜んでくれました。私が手伝えるのは帰省中だけ、これからの半年の治療を支えるのは母が中心になるので、そこを考えながら色々必要なものを揃えたりしました。

  一方、父は最初の抗癌剤治療でアレルギー反応が出てしまい、お薬の変更を余儀なくされましたが、1クール目の治療を終え、体調が回復したので外泊してくることになりました。が、帰ってきた途端仕事モードで、自分で軽トラを運転して出かけようとするので無理やり付いて行ったこともありました。本当なら、家でゆっくりするべきで、治療で白血球数が落ちていますから感染を防ぐためにマスクもしなければなりませんが…マスクは顎にかけちゃうし、気持ちは病気になる元気な時のまま!
e0067416_04091783.jpg
抗癌剤の副作用で発赤疹が出てしまいました。(涙)

  その上、間が悪い事に、私が滞在させてもらっている部屋のエアコンが壊れ、父が新しいのに交換する!と動き始めてしまいました。屋根に登ったり危険な作業をしなければなりません。「もうすぐジョフさん達が来るのだから!」と私が止めるのも聞いてくれず。また自分ができることを他の業者に頼むことも良しとはしてくれず、結局次男弟が来て父を手伝ってくれました。弟たちは父が自営をはじめた頃はまだ実家にいて、アルバイトがてら父の仕事を手伝っていたので要領もわかっていて良いアシスタントでした。お陰で、新しいエアコンで快適に過ごせたわけですが、一方で父が感染したりしていないかとても心配でした。
e0067416_04093662.jpg
  この半年の入院期間中、父はこっそり病院を抜け出してお客さんのところに行ったりしたこともあり、電話で仕事の対応をしたり、外泊のたびに仕事に出てしまい、母を心配させていました。父としては「お客さんが困っているのだから、なんとかしてあげなくては!」という思いばかりだったようです。これまでも一応定休日を決めていましたが、なかなかきちんと休まないので開業以来母は大変だったと思います。

  父は学校の先生になるのが夢だったそうですが、事情が許さず、今の仕事をするようになったのですが、もともと商売人の才覚があったように感じます。残念ながら、私たち子供は誰1人その才覚は受け継がなかったのですが…。
e0067416_04093040.jpg
  入院中なので腕には病院の認識票をつけたまま軽トラを運転して仕事へ行く姿はとても病人には見えませんでした。父はこうやって私達を育ててくれたのだなぁと感謝の気持ちが湧いてきました。


by sivasiva21 | 2019-04-15 10:00 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://sivasiva21.exblog.jp/tb/28079265
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。